現在放送中、
NHK大河ドラマ真田丸

連日の放送にあなたは
もう釘づけではありませんか?

真田丸は幸村が主人公だと
お思いの方もいるのでは

しかし、幸村だけがスゴイんじゃ
無いんです!

幸村の父、昌幸は幸村を
しのぐ武将なんですよ!

この変化激しい時、真田家の人達は
どう生きて来たか

絶対ピンチにおちいった時
どう巻き返し、勝利を導いたか
また妻の薫とはどんな人なのか

真田家を築いた真田の父
真田昌幸についてせまって見ましょう!



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真田昌幸とは


真田昌幸(さなだまさゆき)
戦国時代から江戸初期に活躍した武将。

武田信玄・勝頼の親子二代に仕え
武田家滅亡後は、織田信長
仕えました。

しかし、信長が本能寺の変
暗殺された後は織田家を離れ
真田家再こうを果たした昌幸!

信長後、豊臣家の統治下
周辺諸国の北条・上杉家
そして徳川家とのたび重なる
交渉のすえに

真田家独自の領土を約束されました。
その領土、今の信濃に上田城を築き
真田家の砦としました。

しかし、関ヶ原の戦いでは
豊臣方として家康の息子秀忠
部隊を息子の幸村と共に打ち破ります。

それを伝え聞いた家康は
怒り狂い真田親子を殺そうとしますが

兄信之の説得で難を逃れる
事が出来ました。

命は助かったものの
高野山への追放が決まり
十数年間の追放生活で昌幸は

家康への未練を残したまま
この世を去ってしまうんです!

家康をこの様な目にあわせたかった

と昌幸は死に際に語ったそうです。
さぞかし、無念だったのでしょう。

しかし昌幸の勇気ある決断・行動
後に真田兄弟に受け継がれ

その姿が私達日本人に今なお
生き続け、勇気を与え続け
ているのでしょうね!

上田城の出来事や妻・薫から人物像を探る


では、昌幸の人物像とは
どうだったのでしょうか?
気になります。リサーチすると

豊臣政権の下
上田城を含め真田家の領土が認められ
この時、昌幸以下真田の人達は

これでひとまず難を逃れた
そう思った事でしょう。

しかし、その平穏を一瞬にして吹き飛ばす
自体が起こるんです!

なんと真田家の領土である群馬県北部
北条家の信濃領を交換すると

徳川家と北条家の間で勝手に
和ぼくが成立してしまう事態に!

これに激怒した昌幸。
徳川・北条に対立してしまいます。

そして、二度にわたる
真田と徳川の戦い
ここに始まります。

この時昌幸を辛抱強く
支えたのが妻の薫でした。

薫という方とてもナゾの多い方で
ほとんど記録が残っておらず

昌幸が武田家に仕えていた頃に
出会い一緒になったとのこと。

出身は京都の名家大名の娘など
さまざまな事が書かれているんですが

真田家を影ながら
支えたのは事実であり

争いの多い世でも懸命に
生きることができたのでしょう。

こうして見ると昌幸は
時の流れに流されるのでは無く

時代を切り開く
開たく者ではないでしょうか。

生き方や明言を知る


昌幸の生き方をかい間みると
たとえ自身が劣勢に立たされても

生きている限り、相手に挑んで行く
強さを感じ取ることができます。

まず一度相手と戦って
さらに、戦略を立てて相手を追いつめて

最後には打ち勝つ勝負師
真田昌幸

父の姿はこの時、すでに幸村に
受け継がれており二度目の

上田城での勝利大阪の陣での
活躍につながったはずです。

最後にこんなお話があります。

家康が大阪城で幸村に
会ったおりに幸村に

お前は昌幸の子かと
聞いたそうです。
幸村が違うと答えたところ

家康はとても安心したそうですね。
それほど昌幸は徳川に恐れられたのです。

家康を倒す事は出来なかった事は
無念でしたが、親子そろって

戦う前にこうも相手に恐怖
与える事が出来る武将は真田以外
いなかったはずです。

まとめ

戦国乱世を生きた勇者
真田昌幸

父の背中を追いかけ
父以上に活躍した真田幸村

そして、影ながら二人を支えた

数の上で圧倒的な相手とも
戦わなければならない時でも

常に死を感じていても
互いを信じ合い
生きて来たのでしょうね。